驟雨の標

東大院卒ド畜生が綴る、困った人の長話(記述言語版)

意見発信と日記の書き方から

日記選集の更新をいったん止めようかなと、そんなことを考えています。
日記に書く分量が減ったという事はあまり無いです。むしろ考えている事自体はどんどん分量として増大してきて、しかも転職するという事で、書き方それ自体をかなり劇的に変えました。
 
 

日記の書き方

これまで私は日記というと、基本的に書きたいときに文章を無限に書きまくるだけのスタイルで書いてきました

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しかし、転職という事で再度企業の現場に入るならそんな事もしていられません。
 
そこで日記の書き方をアイディアノート型に変更しました。

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私の日記とはその日有った事を記録するというよりも、その日考えた事を記録しておく思考日記ですから、書き方にしても馬鹿正直にその日にそのまま書くことだけが芸ではないと考えるようになりました。
特に、その日思いついたことをそのままその場で書いてしまうと、自分の思いつきやインスピレーションを何の整理もせぬままそのままインターネットに投げ込むだけになってしまうので、要は「言いっぱなし」になってしまう事が多いんですね。
言い方を考えたり、他の可能性について思索を巡らせる猶予が全然ない。
 
そこでこういったアイディアノート型に書き方を変えることで、自分の考えたことが正しかったのか、それとも語るに値しないただの譫言なのか、それを時間をおいて判断できるようになりました。これってわりと重要な事だったようで、アイディアノート型に変更してから書いた事はnoteとかで公開してますが、まあまあ多少は評価されるようになりました。
 
特に、仕事なりなんなり他の事に集中している時にふっとアイディアが降ってくるのが重要だという事が分かってきました。時間に任せてグダグダ考えて出てきたアイディアよりも、全く他の事に集中している時に突如何の前触れもなく思いつくようなアイディアの方が品質として高い。
 
noteと意見発信
最新の日記選集はnoteで公開しています。一週間一回更新とかだとクソみたいに分量が多いので、書き上がった所からnoteに単体記事として投げるという方法をとっています。
最近になってやっとそれなりに評価が付くようになってきたので、もうちょっとやってみようかなと考えています。
 
でnoteのURLを公開しようかとも考えて一時期は少し公開してましたけど、今は公開していません。
 
色々な経験から、日本のインターネットとは重監視社会で、誰かが何か意見発信すると即座にそれを殺しに来る怖い人達が徘徊して回っている魔境であるという事が何となく分かってきたからです。私がイスラームについて何か書けば即座にイスラーム原理主義者たちが爆弾をもってやってくるでしょう。
インターネットとはそういうところで、だからこそ発言の匿名性という事についてもう少し深く考えるに至りました。
 
noteが匿名プラットフォームだとは私はあまり思っていませんし、私をどうしても殺したい人が死に物狂いで個人情報を集めて回って、死に物狂いで調べて回れば私の書いてるnoteなんてのは三秒で見つけられると思います。
なのでnoteの方にも誰かに迷惑をかけるようなことは基本書いてません。
 
けど、少し考えるんです。
 
現代は否定と非難の時代です。
「AはBである」と私がどこかで意見発信すれば、「何言ってんだAはCだろ!」と反論する人もいるし、「AはBとC両方を包摂するのだ」と補足する人もいるし、「ところでBはFだよね」と全く論点をずらした話を始める人もいる。
 
それにこそ最も重要な価値があって、だから一番最初の「AはBである」という意見には「議論の始点」としての意味があるんです。
 
自分の言葉をどう取り扱うか、意見発信するならばそれは常に考えていないといけない事ではありますが、私は基本的には「議論の始点」となりうる言葉は臆することなく発信していきたいと考えています。
 
なので恐らく、私の匿名性というもの自体はいつの日か完全に崩れるのかもしれないし、発言する者としてそこまで行く事ができたら一つの本物なのかなという風にも思います。