驟雨の標

東大院卒ド畜生が綴る、困った人の長話(記述言語版)

dayworks: 2019/7/7-20:

考える事があまりにも多すぎました。
面接が三件、全部第一志望で行きたい会社、それも最終面接。それが終わった後も色々な人生の決断を迫られ、文章を書くという事自体すっぽり抜け落ちていました。
まあこの際それはそれで良いんですよ。文章をちょっと書かなかった代わりに、人生を決定する巨大な決断自体は完了しました。しかし言語に寄らずに物をひたすら考え続けるという事をやったせいで、未だにまだロクにモノを書いていません。そろそろリハビリしましょう。

 

 

今週の目次

7/19:
生活感覚の違い
お金とコミュニケーション
7/16:
プライベート・ライティングと精神安定
7/8:
自由と決断力

 

生活感覚の違い

・母との論争その二。生活習慣や感覚の異なること。
・フライパンの洗い方から、シャワーを浴びた後の乾燥方法まで、色々なところで細かい習慣や感覚が私と母とでは微妙に異なる。
・私には端的にいってデリカシーが欠けているので、濡れたものを濡れたままにしてしまったりすることも多い。何でもかんでも自然乾燥に任せようとしてしまう。不衛生なのかもしれないけど、けどそれで問題が起きたことがないからそのままにしてしまう
・母は少し違う。生活を衛生的に保ちたいという意識には半ば以上強迫的なものが含まれていて、私が不衛生な生活をするのが理解できないのであろうと思う。
・言ってみればそういうのは、男女間でも生活教育の差として顕著に出てくる事だろうと思う。男性に比べると女性の方が教育上しっかり生活習慣の基礎的な面を叩き込まれる傾向は強いと思うし、それができてないと日本社会ではマトモに女として認めてもらえない。
・そういうのをどう考えるかという話はある。これはある意味では生活習慣を男は叩き込んで貰えない場合が女性より多いという事で逆男女差別の話でもある。
 

お金とコミュニケーション

 ・母との論争その一。お金とコミュニケーションについて。
・結局まだ母は色んな人に無償奉仕奴隷労働していて、その事に満足してるならまだしも、やはり苦しいという。
苦しいならお金もらえば良いじゃん、と言っても聞かない。お金を貰うのは悔しいから嫌なんだそうだ。ブラック企業の精神そのもののような気がする。
・お金をまた誤解しているんだけど、別に労働契約や雇用関係を結んだ法律上の労働者であるからお金が発生するんじゃないんだよな本当は。勿論企業で労働者として働く人には労働契約があって雇用契約があって、賃料として賃金が支払われているので、だからブラック企業みたいな雇用契約違反を堂々やらかすような不法集団を法律的に裁けるということはある。がしかし、それ以外の関係でもお金が発生する事は全然有って良いことなのだ。ココナラで誰かの仕事を少しだけお手伝いしたり、人生相談に乗ったり、下手すると恋愛相談に乗ってあげるだけでもお金は発生するじゃんか。同じように、介護する-介護されるという関係性にもお金が発生するのは全く自然なことであるはずで、日本人だからそれを「家族なんだから無償でやれ!」とか言い出すからめちゃくちゃな事態が発生する。俗に言う「ブラック介護」である。
・日本人の気質の問題なのか何なのか分からないけど、お金を受け取るという事を異常なほど忌避しようとするのって一体何なんだろうな。家族だからお金の授受はしない?慈悲の精神で無償奉仕し続ければいい?それっておかしいと思わないか?
お金を受け取らないという事は一方では「クオリティは適当でも良い」という事の裏返しである。これは別にプロフェッショナルに限った話ではなくて、たとえアマチュアだったとしても1万円の仕事・500円の仕事・無料の仕事では当然クオリティが変わってくるのである。それを同じクオリティでやらないといけないとか言い出すのがそもそものブラック企業論理で、私たちは対価として何かをいただけるからこそ仕事をするのである。
お金を受け取らずにやっている事については、事実上サボっても良い。それが例えば学業であるとか、自分の知識やキャリアに生きてくる事であれば真面目にやって損はないけど、そうでない物事をやらねばならないとき、そこにお金の授受が発生する事は全く自然なことであるはず。
 

プライベート・ライティングと精神安定

不本意ながら認めなくてはならないだろうが、精神的な安定性はどうやら書く量と比例しているようだ。
・ここ最近一週間に面接が三つも入ってきたり、しかもその三つとも行けたら嬉しい第一志望企業だったりして、モノを考えて書いたりしているような余裕があまりなかった。だから大半の言葉は全部他人とのLINE上での議論に流したりしていた(大変迷惑をおかけしました:私とLINEで友達になると果てしない長話が聞けるよ!)。
不思議な事に、完全に自分の自由で何を書いてもいい空間である「日記」に言葉を流さずに、他人との議論とかにばかり言葉を流していると、内省的な時間を全然持てないせいなのか何なのか徐々に自分が何を考えているのか全然わからなくなって不安になってくる。
・プライベート・ライティングが思考力やイマジネーションを大いに加速するという話は昔から語られ続けているが、もしかしたら私にはそういった「言語的思考」が最も性に合っているのかもしれない。世の中には数式やら論理やら色んな物で思考能力を加速することができる人がいるけど、私の場合それは「言葉」によるものかもしれないと思う。
・頭の中から出てきたことをそのままキーボード叩いて画面に打ち込んでいく時間というのが、奇妙なことに実際めちゃめちゃ精神的に穏やかになる。モヤモヤっとした何とも言えない曖昧模糊たる「感覚」…いや感覚ですらない「気配」を、言葉にする過程で物凄く自分の頭の中のいろいろな知識やら想いが整理されてゆく。これが多分死ぬほど重要で、これを繰り返してゆくことで実際に自分の頭の中が少しずつ整理整頓されていって頭がすっきりしてくるのだと思う。要は「アタマの4S」である。

 

自由と決断力

・自由だ!と思ったけど、やはり自由である事は精神力をメチャメチャ使うということだった。
・何より一つ一つの物事に対して決断する機会が物凄く増えるので、決断力の消耗が物凄い。常に何か考えて決断していれば、割と一日の終わりごろには決断がかなり鈍るぐらい決断力を消費しきっている。
・ここから思う事として、やはり自由とは強靭な精神力の裏付けがあって初めて真の意味で自由になるのだろうということ。人は自由な環境に放り込まれるとどうしても自堕落になってくるし、そこを乗り越えて自分で自分を駆動できるだけの精神力は絶対に必要になる。