驟雨の標

東大院卒ド畜生が綴る、困った人の長話(記述言語版)

dayworks: 2019/06/23-29:

いつも調子が良いというわけにはいきません。残念ながら明らかにかなり調子が悪くなるタイミングがあります。そういう時普通はどうやって乗りるものなんでしょうね。
今回は特に書いたことが少ない週です。どうにも脳味噌の動きがsluggishです。

 

 今週の目次

6/27:
えんとつ町のプペル
6/26:
感情と差別化
静穏な同質化・炎上する差別化
金融国家化・工業国家の無理
ビジネスの持続性

 

えんとつ町のプペル

・「えんとつ町のプペル」を読んで最初に思ったこと。「帝国少年じゃん!」
http://tksn.sakura.ne.jp/
https://matome.naver.jp/odai/2138023392246220301
・ネット上のイラストレーターを沢山見てる人なら先ず分かると思うけど、物語の舞台となっているえんとつ町のイラストの画風は帝国少年にかなり近い。というかほとんどそのままのような気もする。
・物語が陳腐だ!というのは、絵本を評価する際には全く的外れな批判なのであまり意に介す必要は無いと思う。例え陳腐でも、その物語をどう演出するかが絵本の表現である。さてそこで演出面を見ると、これもまたどこかで見たような演出というか、物語の分かりにくさに対して演出が少々無理矢理な感じはある。
・冷徹に評価すると、アートワークとしての完成度は決して低くはないものの、子供向け作品としての「絵本」という体を成しているかはかなり怪しいと思う。
 

感情と差別化

そういえばTwitterも三ヶ月に一回ぐらいのペースで炎上していた時代の方がフォロワーもどんどん増えていったし、楽しかったのをよく覚えている。
・今現在News Picksでは実名で意見発信しているが、飽くまで人に迷惑を掛けない範囲ではあるけど、私の感情を素直に語ったようなコメントが好評で順調にフォロワー数が増えていってるのは割とうれしい。News Picksなんてそれこそエクストリーム意識高い系のビジネスメディアであるが、一つ一つのニュースに対して正直な感覚や感情的にどう思うかを言うようなことが予想外に評価される。
・専門知識をもった分野に対して書くことは重要なんだけど、実は「自分の感情をストレートに表現してみる」ということが「差別化」の第一歩なのではないかと思う。


静穏な同質化・炎上する差別化 

・イケダハヤトの言説を見ていて少し考えたこと。
・人を惹きつける言葉とは、「熱をもった言葉」である。何かしら自分の好きな分野とか、専門知識を持っている分野について書くという事が重要視されるのは何故かというと「熱を持ちやすいから」であると言える。
熱をもった言葉は一方で非常に強力な燃料でもある。良い方向へ行ってくれればバズるけど、悪い方向へ行けばめっちゃ簡単に大炎上する。
・例えば、何人も人を殺したような殺人鬼が世間を騒がせたとする。当然世の中の主流派となる意見は「殺人鬼憎し、被害者かわいそう」である。ここにもしも「被害者はバカ、殺人鬼かわいそう」という意見を投下すれば、多分その翌日には大炎上する。その意見の内容は殆ど顧みられることはなく、とにかく逆張りである事を理由に大炎上するだろう。
・基本的に私はイケハヤさんは嫌い(大学不要論を唱えてる所に違和感しかない)だが、一方で流石に嘘か真かもわからん言葉を大量にインターネットに投げ込んで飯を食っている人だというのは認めざるを得ない。「炎上を恐れていてはインパクトのある事は書けない」とは、ある一面においては言葉というものの本質を突いた意見であると思う。
「人と同じこと」を発信して、それで飯が食えるのはテレビ局だけである。しかしそのテレビ局ですら徐々に若者に飽きられて行って、「人と違うこと」を発信する人々に関心が移行していっていることは言うまでもない。けれども当然この日本では「人と違うこと」を発言する者には依然として炎上のリスクが付きまとう。「差別化」するということは「差別される」ことである。
・言葉による分野なら色んな分野に同じことが言えるなと思う。少し考えて、例えば「小説家になろう」という小説投稿サイトが存在する。私が初めて見たころには割といろいろな種類の小説が投稿されていて、面白がって読んでるような作品もあったが、今はもう何もかも失われた。異世界転生モノ(なろう系)」で全てが同質化してしまったからだ。二番煎じ三番煎じでも少しでも工夫が含まれてさえいればある程度PVが付いたし、場合によっては書籍化アニメ化と話が進んでいくわけである。これに対して徐々に見てる側も飽きてくるから、いろいろな作品がいろいろな工夫を設けてどうにかして同質化の進む「異世界転生」というジャンルで何とか差別化しようとしている。
ブログ界隈も同じだと思っている。大体「こんなことをすればあなたも○○ができるようになります」とか「こんな勉強法で私はこんな資格を取りました」とか、実用的な情報が入っていること、または「僕は××のような人生を送ってきましたが、□□を手に取ることで○○な人生に至りました!君たちにも同じことが必ずできます!」と意識高く人々を応援(扇動)する記事ばかりが爆発的に増加していて、その意識高い枠の中でどうにかして差別化しなければその言葉は誰にも届かない。
ある意味ではブログにせよ小説にせよ、あのブログ文化初期の頃やTwitter文化初期の頃みたいに「私は○○をしています、××という考えを持っています、□□というものが好きです」という風に徒然なるままに(この言葉ですらクソ意識高いけど)日々を書いているだけではあまり価値がない。そんなもんは誰でも書けるのだ。別に犬でも「今日食べたドッグフードは美味しかったワン!」と書くことぐらいできるかもしれない(もしそんなブログがあったら大ヒットしそうだけど)。
・価値のある言葉を書きたいと思ったら徹底的に言葉を差別化しなくてはならない。つまり炎上も覚悟して「差別され」なければならない。自分にしか書けないことを書かねばならない。だが、例え炎上を覚悟したとしても私含め大半の人にはそんな言葉はない。これが問題なのだ。


金融国家化・工業国家の無理

・日本がもしもこのまま人口減少にAIオートメーション化が追い付かず、企業の国内生産拠点が人手不足で破滅して行くとすれば、やがては国内に工業を欠く金融国家みたいな状態に至るのであろうか。もしも高卒人材が今よりもさらに減少して行くとすれば、国内において工業生産の体を維持できるのは大企業だけである。
・これだけ人口が多い国家規模で金融国家化するのはどう見ても無理だろう。というかマルクスが見たら諸手を挙げて褒め称えそうなぐらい生産と製造を重視して金融リテラシーの低い日本人が、そう易々と金融国家化を受け入れるとはとても思えない。教育体制だって現在の「教育とは子供を育てるためのもの」という社会的な了解をぶち壊すような制度を作らねばならず、これもめちゃめちゃに難しい。
・とはいえ、それでは高卒人材もどんどん減って行って、AIオートメーション化は追い付かず、生産能力はどんどん落ちて行って、かといって移民政策を公言すれば即座に選挙で支持を失うという状態が続けば、どう見てももう国内で工業生産をやるのは現実的にならない。大幅に縮小した労働力を物凄い高給好待遇で雇うか、または大々的にAIオートメーション化を進めなければもうどう見ても生産活動それ自体が全く成立しないだろう。
・という事は、低価格帯でしか販売できないような日用品や、そのための素材といったような工業生産物は日本国内で生産するのにはかなり無理が出てくる事になる。超高機能超高価格の製品を生産して、国際市場のお金持ち層を狙って輸出することができないと、国内での生産活動はほぼ無理ゲーである。

 

ビジネスの持続性

持続性のあるビジネスとは一体何なのだろう、ということを少し考える。
・例えば金持ち向けビジネスって、その国の国民の所得がかなり高くないと成立しない。ということは、もしも何らかの金融ショックとかが発生して日本国民の所得が今より大幅に低下したりとか、中間層の完全破滅で富裕層と貧困層の間の差異が物凄い開いてしまったら、半ば以上成立しなくなると考えられる。ホリエモンが手がける一杯一万円のラーメンとか、食文化を開拓するという意味では重要だけど、もしも帝都が今の何倍も失業者と大貧民で溢れかえるようになったとしたら即座に打ち壊しに遭うだろう。
・「わたし定時で帰ります」を見ていて考えたことだが、もしも日本国民すべてがあんなオシャレな職場でキーボードを叩いて定時で帰るような仕事をしていたとしたら、おそらく日本の産業は成立しない。それどころか世界の産業が成立しなくなることすらあり得るだろう。
・何が言いたいのかというと、私たちが普段使っているパソコンにせよ、着ている服にせよ、食っている飯にせよ、必ず「生産の現場」で苦しい思いをしながらモノづくりをやってる人が存在するという事である。これが完全にロボット化されてくれればいいけど、まだまだ完全なAIオートメーション化には時間がかかる。
・ということは、帝都の一等地でキーボード叩くだけの仕事をして飯を食う人がいる、その足元には生産現場で戦う膨大な数の人々の姿がある。高卒であるという理由だけで苦しい仕事に交代勤務に取り組み、その結果として薄給で働く。経済格差が生じる原因には厳然たる労働格差が存在するということだが、では高卒の人間が大学院卒と同じぐらいのパフォーマンスを発揮して頭脳労働に取り組めるかというと、そりゃ無理である。
もしもAIオートメーション化が人口減少による高卒人材の減少に追いつかなかったら何が起きるだろうか?生産の基盤が殆ど崩壊してしまうということである。そうなると日本が世界の産業に担える価値とは製造ではなく、研究開発や設計であるという事になる。そうなれば、もう日本人は工場の生産現場における交代勤務のような苦しい仕事にはこれ以上従事しなくてもよくなる…のだろうか?しかしそうなったら、帝都でキーボード叩いて仕事している人たちが着る服は、食う食料は、いったい何処で生産されるのか?