驟雨の標

東大院卒ド畜生が綴る、困った人の長話(記述言語版)

雑感: 空へ歩き始めて

あまり大々的に書くことでもないので、さくっと。

 

そのようなわけで昨日が最終出勤日でした。
思いのほか私の状況はそれほど大きくは変わりませんでした。

一日中文章書いて、だれかとコミュニケーションして、何かを考えるという習慣は、会社が有ろうと無かろうと殆ど何一つとして変わること無く私の生活のリズムを刻み続けているのでした。
だから会社がないという日を今日初めて過ごしても、恐ろしいほど色んな事を考えて書きまくっていたらあっという間に一日が終了しました。

 

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何の組織にも所属せず、在野の狂人として生活するというのは、実に9年ぶりです。
9年前、私は家を出て一人横浜で浪人生活を送っていました。親に頭を下げて一人暮らしを始め、何が何だかよくわからない世界の中に身を投げてみて、自分の自我・意識・哲学みたいなものが初めて芽生えて行った時間でした。

 

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今現在こうして会社の無い一日目を過ごしてみて考える事は、家事炊事掃除洗濯のような雑事から、思索や執筆作業に至るまで、体力や精神力の配分が完全に自分でコントロールできるため、物凄くやりやすいという事です。
お陰で今日は長らくやろうと思って後回しにしてきた扇風機のオーバーホールと、転職活動と、お料理と、ちょっとした執筆を全部一気にやってもまだ時間が余りました。

 

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親しい人たちは「お前は今まで苦しんできたんだから、少しぐらい休んでもええんやで」と言ってくれますが、どうにも私は「休む」という事がよくわかっていません。
私は会社でも何か考えた事は即座に書き留めて保存しておくような思考キチガイだったため、今さらその思考を止めろと言われても無理なものは無理です。
一日中ゲームでもしてればいいのかもしれませんが、病的な事にはゲームしてる真っ最中でも私はふとした瞬間に全く別のことをものすごい勢いで考え始めたりするので、結局止まりません。

 

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くるくると時が回れば、くるくると私の頭も回ります。
その流れを止めなければどこかに行けるのでしょうか。それともどこかで脱線して死ぬだけでしょうか。もうそれはよくわからないことです。
一旦離れてみると、組織が規定していた未来も、組織が必要としていた過去も、もはやどこにもありません。そこに在るのは「今現在」だけです。

 

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私がどこへ行くのかは分かりません。私がどこから来たのかももう分かりません。
そういう意識を持つことが良い事かどうかも私には分かりませんが、少なくとも私はそうしてまた「今この場所に立った」のです。

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