驟雨の標

東大院卒ド畜生が綴る、困った人の長話(記述言語版)

dayworks: 2019/05/7-11:

週の前半は割と良かったけど、後半に行くに従ってGWで崩れた食生活のツケが回ってきて頭がぶち壊れて行った週でした。南無阿弥陀仏

 

今週の目次
5/10,11:
疲労して脳ミソが破損していたため日記から公開できるものは無し
5/9:
低きを流れる言葉
5/8:
言葉は数打て
5/7:
価値の崩壊
過去の生臭さ
「何でも知ってるが何にもできない奴になるな」
主人公の気質(創作小説論)

 

低きを流れる言葉
(20190509)
・扇動的な事を書くか先導的な事を書くか…まあとにかく誰の目にも派手でヴィヴィッドな印象を与える文章を書けば、即座にフォロワーみたいなものは作れる。皆そういう物が好きだからだ。
・私のtwitterは今では完全に活動停止アカウントと化しているが、最初期にはずーっと「情報社会の行く先」とか「情報社会における情報それ自体の意味変質」とか、そんな話ばっかり書いていた。フォロワー数は割と順調に伸びて行ったのをよく覚えているが、あるタイミングでメチャメチャ飽きて、停止した。
・大分前にブログ記事にもしたけど、「現実が分裂している」としか言いようのない事態が発生するんだ。インターネットの中では文化人や知識人たちが華やかな言葉で華やかな議論を繰り広げていて、地道に勉強して意見発信していけば自分もいつかそこに加わる事ができるんだと思っていた。しかしPCの画面からふと目を離せば、そこにあるのは怒り狂う母の姿、仕事で心を病んで苦しむ父の姿、本棚もマトモに買ってもらえない反知性主義の地獄だった。パソコンの画面の中で展開されている華やかな世界と、自分が今立っている世界は恐らく、全く地続きではない。そう思ったんだった。
・落合陽一や堀江貴文やら…確かにみんな立派だ。自分の信念の下に自分のやりたい事をやって、発言して、成果も出して、素晴らしい人たちだ。でも、そこに辿り着く事ができるのは本当にごく一部の人間だけで、私のような小童は反知性主義の地獄に飲み込まれながらもそれでも一生懸命自分の意見を言い続けて、その結果として高卒の老害に怒鳴られて過ごすしかないのだ。元から彼らの立っている世界と私の立っている世界は地続きではない。
・私が延々ずっと意識低い系を標榜しづつけるのはこの辺りに理由がある。意識高くカッコいい事を言うと確かにフォロワーは作れるんだけど、でもそれは実際にその人たちの何かを救える言葉なのかと言われればかなり怪しいと思う。

 

言葉は数打て
(20190508)
・一定レベル以上の高度な意見発信、特に自分のレベルを超えた所に有る物事に対して、自分の知的成長と議論を望んで意見発信することは重要な事だけど、当たり前の事ながら簡単ではない。
・特に難解な分野とか、日本社会の未来みたいな抽象度が徐々に高まってくるような領域で意見発信しようとすると、それが「どんな意見なのか」すら分からないような場合が出てくる。自分オリジナルの意見だ!と思って発信してもそれは「過去の意見の整理」に過ぎなかったり、または「間違った意見である」なんて場合も存在する。しかしそれを意見を練って考えている時点では自覚的に判断することはできない場合が殆どだし、意見発信してから初めて間違いや勘違いに気付くような場合も多い。
・とするとつまり、何か意見を発信しようと思うなら片っ端から数を打ちまくるしかない。当然間違った意見も確実に出てくるが、正確な意見も出てくるだろうし、勉強していけば正確な意見の割合はだんだん多くなっていくだろう(100%になることはないかもしれないが)。
・考えるにつけ落合陽一とかホリエモンとかがやってるのはそういう事なんじゃないかと思う。彼らの言ってる事は実際全てが正確なわけではないし、明らかに何かしらの目線が欠落してる(特に「バカの目線」は彼らの著作には殆ど含まれない)場合も多い。だから落合先生も今年の年頭には随分大炎上していた気がするし、彼には根強いファンも根強いアンチも存在する訳だ。
ホリエモンも全く同様である。インターステラのロケット打ち上げ成功で味方は増えたと思うけど、それでも今だにバイオ関連・健康関連分野で彼の言ってる事は色々とおかしいし、そういった所でバカみたいに彼に噛み付いて吠えまくるアンチは非常に多い。
・それでも彼らが間違いを恐れず片っ端から自分の言ってる事を発信し続けるのは、「正しいのか間違いなのか、高度な議論を要する領域では、言ってみないと分からないから」ではないかと思う。間違ってるなら間違ってるでお偉い専門家やら大学教授やら色んな人が批判してくれることまで含めて彼らの「言論」であり「言葉の形」なのだと思う。それに騙されるファンが非常に多い事を考えると、そのような言論の在り方は「絶対善」であるとは言えないが、しかし僕らだって普段から訳の分からない間違った事を発信してしまう事が日常的にある事を考えれば「言論における絶対善」なんてものは最初から存在しない。「人を殺してはいけません」という言葉だって、戦場でそんな事言ったら処罰されるだろう。

 

価値の崩壊
(20190507)
・経済学には「希少性」という考え方があって、希少だからこそどんなものにも価値があると考える。例えば「空気」には希少性が無いため価値もない。従って僕らはどんだけ激しく呼吸しようと「呼吸税」を徴収される事は無いし、空気に値段を付けて販売することは事実上成立しない。
・AIロボティクスがどこまで発展するか次第で経済が激変する可能性が高いというのは、AIが人間の何倍もの速度で昼夜を問わず何かを無限生産するAI工場が一般的になれば、この世の大半の工業製品に関して「希少性」をどんどん低下させてゆく事で「価値」を問う必要が殆ど無くなる世界を作れるからである。
・そういった世界では、通貨がこれまでと同様に「価値の交換媒体」として使用されるとは考えにくい。そもそも大半の物に価値が無くなってしまえば、通貨は殆ど不要になってしまう。交換する価値がなくなるからだ。これを私は「価値の崩壊」と呼んで考えている。
AIの制御するロボットが工場で食料品を生産し、自動運転車両に積み込み、そしてコンビニみたいに街中あちこちに設置された"Food Stock"と呼ばれる倉庫みたいな建物に食料品をバンバン運び込む。そして人間たちはお腹が空いたら、そこから自由に食料品を持って行っても良い。自宅に勝手に運び込んで貯蔵しても良い。…そんな未来が来るかどうかは怪しいが、もしも食料品の価値がタダ同然まで低下すればそうなる。そしてAIロボティクスは大半の工業製品をタダ同然にする可能性がある。

 

過去の生臭さ
(20190507)
・日記にせよブログにせよ、自分が過去に書いた文章を読み返すと、どうしようもないぐらいアホみたいなことを堂々ドヤ顔で書いていて目を覆いたくなる事が多々ある。
・過去の自分は常に「生臭い」。それは生気に満ち溢れて精力的に物事に取り組んでいたからという事でもあるんだけど、では今現在の自分がその時に比べて著しく生気を失ったのかというと、別段そういうわけでもない。
・何が変わったのかと言うと、多分「意識の形」が変わっているのだと思う。昔の自分はとにかく尖った事を唱えて、尖った事を信念に掲げて生きていれば良いんだと無邪気に信じすぎている節があったが、最近はそういった尖り過ぎていた部分に対して一つ一つ見直して、考え方を変える必要がある部分は自分の意見をすっかりひっくり返して翻意することも厭わない。より柔軟になってきたのだと思う。
・それが強さに繋がっているのか、それとも弱くなっているのかを正確に見極める事は難しい。人から言われたことをより素直に聞けるようになってきたという点では進歩だけど、鋭さは無くなってきたと感じる事が多い。
・過去の私はどうしようもなく生臭いが、それでも時折、恐ろしい程生臭く鮮魚のようにぴちぴち跳ね回っていた時代の事が懐かしく思える事がある。私はまたいつか、より洗練された生気を身に付けて、よりエネルギッシュに生きてゆくような事ができるだろうか。将来の自分はそうあってほしい。

 

「何でも知ってるが何にもできない奴になるな」
(20190507)
・GW中何だかんだで色んな事を色んな人に説法して回ったような気がするけど、その中でも一番の箴言はこれかなと思う。正式には従弟に語った事で「世の中定期的に私のように『何でも知ってるけど何にもできない奴』が現れるが、そうなってはいけない。私のようになるのではなく『何にも知らないけど何でもできる奴』になれ」
何かを知る事には重大な意味があるし、多くの事を知っている事にも重大な意味がある。が、どれほど重大な意味を持っているとしても、最後にモノを言うのは「行動力」である場合が多い。どれだけ行動力を持っているか次第では、無教養無知識クソボンクラの薄らバカみたいな野郎が世界を変えることだってあるし、裏を返せば知識力に満ち溢れた教養人がクソド貧乏のウンコになることだってある。
・私はというと、恐らく世の中一般の大半の人よりも教養的なものは優れているし、それを基に何かを考える能力もある。けど、それを発信する能力が足りていないし、考えた事を基にして何か行動していくという事はもっと苦手だ。多分そういう所で道を踏み外したのだと思うけど、ため息が出る。この点についてはどう非難されても正直反論できない。私は「発信すること」や「行動すること」を軽視し過ぎたのだ。

 

主人公の気質(創作関連)
(20190507)
・人を愛する資質が何によって成立するかという事なんだけど、少なくとも自分が愛されているor愛されていたという経験を持ってなければ、その人が誰かを真の意味で愛することは無いのではないかとも思う。主人公は一定の年齢までは誰かの愛を一心に受けて明るく優しい存在として育たないといけない。
・分かりやすい苦痛、分かりやすい苦悶に主人公を落としてゆく事で、分かりやすく主人公が歪んでダークヒーロー化するというのは避けたい。「盾の勇者の成り上がり」を筆頭にしてやり尽くされているプロットすぎてかなりつまらない。