驟雨の標

困った人の長話(記述言語版)/晴れて今や東大院卒三交替会社員の名をほしいままに/一週間一回更新(は今現在無理すぎて停止中)

プロセス価値と結果価値

ブログ記事にアフィぐらい貼ったって今時怒られたりしないよとの事で、アフィを貼って書籍ほんの少しだけ紹介しながら自分の考え方を述べるという事をやってみようと思います。あまり書籍の宣伝ばっかしても面白くないので、宣伝とか書評をメインに据える記事は別の記事に分けます。

お金2.0 新しい経済のルールと生き方 (NewsPicks Book)

この本を読み始める直前ぐらいから考え始め、読んで以降私の頭の中で一つの形になった考え方についてです。ずっと考えていましたがそろそろ言語に著してみようと思います。

「お金」とはそれ単独で価値のあるものではないのに、どうして皆お金にバカみたいに執着するのか?お財布の中に百万ぐらい入ってれば天国に行けるのか?
そうではないでしょう。幸福になりたければお財布の中の百万円で美味しい物を食べたり、欲しい物を買ったり、高級風俗に行って綺麗な女の子とイチャイチャしたりしなければならないのです。お財布の中に一万円札という「ただの紙」が百枚も入っていた所で、そんなもんはそれ単独ではトイレットペーパーぐらいにしか使えないのです。

ここではそんな「プロセス価値」と「結果価値」の混乱についてです。

f:id:weaverbird:20180701094303p:plain真に価値を持つものとは、プロセスではなく結果です。つまり、プロセス価値と結果価値をやたら混同してお金に執着しまくったところで、ちょっと考え方的に間違っていると私は考えます。

そもそもお金とは一体何から始まったのでしょう…みたいな話は最初に紹介した書籍に腐る程書いてあるので読んでください。ここではそんな話はしない。
私が考えたいのは「お金」と「欲求」の関係性、そしてそこから生じるのではないかと推測される「お金の意味」についてです。

 

権利範囲としてのお金

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例えば私だったら最初にこんな円を書きます。人間の欲望は色々な種類の色々なものがありますが、突き詰めればこういった階層構造が成立します。生存できなければ幸福にはなれないし、楽をしているという事はその人が生存し生活できている事に他なりません。
この円の中心に立脚して、そこから円の外側の階層へ向けて手を伸ばす事が幸福を追求して行く事であると考えます。

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この円にお金持ちと貧乏人の欲求充足領域を書き足すとこんな感じになります。円の中心で貧乏人が必死に生存だけを満たそうと四苦八苦している一方で、お金持ちは「幸福になりたい」という円すら遥かに超えてメチャメチャ広範囲でハッピーな生活を送っているわけです。この両者の違いはお金です。お金を持っているか持っていないかで「権利の範囲」に差が出るのです。

もっと具体的に書いてみましょう。

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お金が有るか無いかで、具体的に人生で手に入れられるチャンス・機会、そしてその分量・種類が変わります。お金によって変化する「権利の範囲」とはつまり「得られるチャンスの量」にそのまま相似します。より色々な人生のイベントを経験したければ、つまりはお金を手に入れなければならないのです。

 

プロセス価値としてのお金
ただし、お金とはただの「チャンス」に過ぎないという事にはもっと自覚的であるべきです。冒頭の図の通り、お金は使わなければプロセス価値のままで、もっと言えばただの紙きれです。

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従って例えば、将来のために貯金する事と、自分のためにお金を使う事は根本的に違う事であるとは、このような図式を考える事で理解する事ができます。貯金するとは即ちプロセス価値をプロセス価値のまま留めおくことです。

問題はここからです。貯金する事自体は別に否定される事でも何でもありませんが、無限に貯蓄するだけだったらどうでしょう?

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例えばこういう図を考えてみましょうか。普通の場合には人は貯金したお金を何かに使うために貯金します。けれども実は「このお金はこれに使いたい」という事をある程度明確に決定できている人はごく少数であると感じています。従って大半の日本人は下のルート、果てなき無限貯蓄の道へ勝手に進んでしまっているような気がします。

こういった状況には、一つには次の図のような困難極まりない状況があります。

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現代日本とはお金に関するサイクルが決定的に歪んだ社会であると思います。仕事がブラックで多忙で、しかもパワハラが横行しているような環境であれば、最早お金を自分の好きな事に使うことなどできません。従って市中にはアホみたいに無限貯蓄された通貨(=プロセス価値)だけが溢れかえり、いつまで経っても消費(=結果価値)が上昇しないという構造的な問題が発生します。

働き始めるとこうなってしまう事が割と誰の目にも見え見えなので、「働く」とは「お金を貯める」にかなり近似された意味で語られてしまいます。「働く」とは「お金を使える」という事ではないのです。

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ここまで来るともう誰の目にも明らかだと思います。現代社会においてはお金が結果価値へ至るための流路の大半がブロックされていて、意識してお金を使おうとしない限り延々ずっとプロセス価値から脱する事ができません。人は何だかよく分からないけど将来への不安から給料は全貯蓄するばかりで、何か好きなものにお金を使うなんて事は無理です。何かに投資するなんてのも普通の人にとってはメチャメチャ困難な選択肢になります。
社会全体として「結果価値」というものが強烈に薄まってゆく流れができてしまっているのです。こうしてプロセス価値という実体を伴わない何だかよく分からない数字だけが猛然積み上がってゆき、それを回しているだけで人間を奴隷のように働かせられる社会が到来します。大半の人にとってお金とは預金残高の数字の事であり、つまりそれを上げるだけで人を奴隷化できます。

 

プロセス価値の爆発による経済の衰退

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こうして結果価値がゼロに近づけば近づいて行くほど、経済は衰退していきます。クルマもお酒も売れなくなってゆき、商売として成立しなくなったところから産業は崩壊して行く事になるからです。プロセス価値ばかりが膨らんでゆく状態というのは、このような危険な状態であると考えるべきです。

これは経済全体のようなマクロな視点だけではなく、単一の企業においても実は同じ事が成立します。

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このようなサイクルを辿って内部留保だけをバカみたいに積み上げた企業は日本には非常に多いと言います。とにかく札束の山というプロセス価値を築き上げる事に執心するあまり、気が付いたら自社の製品も設備も何もかもレベルが下がりまくっていて、人手不足の時代を乗り切れなくなって爆死する会社がこれから一気に増えるでしょう。

個人の場合にはもっと惨憺たる事態に陥ります。

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日本の場合には派遣社員ワーキングプアと呼ばれる人たちがほぼそのままこれに当てはまります。更に言うとここから先大半の中小企業の従業員がこんな感じになると予想されます。会社がプロセス価値の限りを吸い取り尽した結果、個人にはプロセス価値すら残らず何も残りません。体力や精神力と言ったような別のプロセス価値も吸いつくされて、何が何だか分からない状況に陥る人はここから増えてくるのではないでしょうか。

 

まず違いを意識する事から
私としてはまず最初に「プロセス価値と結果価値の違い」をみんなに意識してほしいと考えています。お金はそれ単独でムシャムシャ食べておいしいものではなく、何かを実現する事で初めて実体としての価値を持つものなのです。

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何はともあれ、たまにはパッとお金を使ってみなければ結果価値とプロセス価値の違いはよくわかりません。タンス貯金があるなら誰かにプレゼントでも買ってあげたら良いし、死ぬほど働いて頑張ったなら好きなものを買うべきです。

お金(ただの紙きれ:プロセス価値)が、
自分の・誰かの笑顔(幸福:結果価値)へと転換される
という状況を意識して体感してみる事です。普段意識せず色んな物を割と好きに買っているなら、逆にお金というプロセス価値を意識してみる事です。

この違いを意識的に理解できるようにならないと、まず「お金の賢い使い方」みたいな議論をしても殆ど意味がないのです。