驟雨の標

困った人の長話(記述言語版)/晴れて今や東大院卒三交替会社員の名をほしいままに

雑感: 伝えること、書くこと

細々とした日々の感情の中にも、記録しておくべき何物かが有るのではなかろうか…という考えで雑感を書いていくことにします。スマホから投稿できる程度にサクッとしたものを書く予定。

今回から始めてみましょう。今回は「伝えること、書くこと」について。

 

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よくよく自分の行動を観察していると1日にA4一枚分ぐらいはゆうに文章を書いています。Evernoteに一生懸命書き付けていること、Twitterに書いていること、LINEで友人と話していること…、合計するとやはり1日1枚ぐらいです。

記述言語のみでそれで、喋りを含めると更にアホみたいに増えます。多分A4五枚分ぐらいはゆうに喋ってるのではないかしら。

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小さい頃から魚介類じみた外見で自分の思ったようにしか動かなかった人間であるため、「魚が変なことしてやがる」という奇異(or忌避)の目線で見られる事が多かったからです。私のやることには全部私の中ではそれなりに理由がありますが、そんなもんを全て説明してる暇はなくて、行動しているうちに変な人扱いされるわけです。だから、伝えたかった。変人扱いしないでくれ、私には私の考えがあって行動しているんだ、という事を本当はずっと伝えたかったのです。

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書くことは小さい頃からずっと好きです。小学校時代から教室中の原稿用紙を使いきるまで延々何かしらクソ長文を書き続けている変な小学生でした。自分の頭の中に存在する、何だかよくわからない思念が書くことで存在として認知できるものになります。その感覚が今に至るまでずっと大好きです。

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記録する、という事も大好きです。書くことも喋ることも誰かの頭の中に残ってくれれば、それは私が確かにここに存在していたことの記録になります。例え私が死んだあとでも、未来の誰かにそれを思い出してもらえるかもしれないし、そこに在る事、在った事を思い出してもらえるかもしれません。

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インプットだけ無限に続けられる人というものは一種の病気だと思います。本を何冊か読めば、頭の中で勝手に知識が不思議な形に整列していって不思議なシステムを構成するもので、それを言語に記録保存しておかないと私はいてもたってもいられなくなります。頭の容量は実際小さいのです。

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作家になれば?と言われることは多々あります。けれども、自分の書いている言葉には力が無いのでなれません。何というか、文学だろうと社会評論だろうと同じで、読ませる文章、そこに使われる言葉には不思議な力があります。それはある意味では誰かの感情であったり、誰かの意思です。そういった魂の言葉を作り出せるようになったら作家になれるのだと思いますが、少なくとも今の私には全く当てはまらないのです。

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理系には言語を思考の基盤にする人がなかなか居ないのか何なのか、本を皆びっくりするほど読みません。東大生でも理系だと、論文は山ほど読むのに、書籍をほぼ読まないという人は多いのです。

そういう意味では私は極端な文系寄りの脳ミソを持っているのかもしれぬと思います。文系脳が罷り間違って東大大学院の理系学科に遊びに行ったのです。得難い経験でした。

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電車を降りました。GWはこれで終わりです。できればこうしてずっとクソ長文を書いていたかった所ですが、また再び「理系は奴隷や!」と叫ぶ人々の下でお仕事をしましょう。

いつの日か言葉の海の中に散ってしまえたら良いのに。