驟雨の標

困った人の長話(記述言語版)/晴れて今や東大院卒三交替会社員の名をほしいままに/一週間一回更新を目指したり目指さなかったり

割とガチで色即是空

真剣な話結構もう人生のすべてを投げ捨てたくなりますが、そういう時こそ普通ではない事を考えるべきでしょう。

今日の目次
「忘れるべき一秒」
「陽炎の庭を歩け」
「汎用思考の際を探る脳殻へ」
「欲望と金と投資」

 

忘れるべき一秒
関西の某企業で働き始めたと言ったな、アレはウソだ。…と言えたら良かったですね。詳しく語ると訴訟になるのが企業主義国家日本なので、また何年かあとにもう少し詳しく語ろうと思いますが、とりあえず、「現代の軟弱な若者を叩き潰すためのブラックではない方法論」というものがここまで発達していたことに大変驚きました。
そんなわけで私は今現在積雪の北陸で三交替勤務に従事しています。東大を出て三交替とは何とも素晴らしいものですが、当初はあまり悪く言うつもりは有りませんでした。大手ケミカルのようなスーパー大企業でも、「初年度は全員三交替」という研修制度は割と一般的であり、現場を知る上でも三交替はやっておいて損の無い仕事だからです。しかしそれは「全員三交替」という、ある程度の公平性が担保された制度であるからです。我が社ではそのような公平性にまで考えが至らなかったのだと思いますが、「ア!装置入れたけど人手足りね!とりあえず~予定外だけど理系だけ全員三交替しといて!(笑)文系はもちろん三交替なんて辛いことしないからよろしく!」みたいなノリで三交替入りが決定しました。
…色々な事を考えて毎日仕事をしていますが、特に最近は「忘れるべき一秒」という意識を持って仕事をするようになったのを実感します。
肉体労働は辛く苦しいもので、特に最近は毎日マラソン大会並みの負担と疲労が当然となっている感があります(その為退職者も続出し更なる人手不足へ)。タルいとかいうレベルは遥かに超え、雪の降る北陸の大地で息切れを繰返し汗びっしょりになるまで働き続ける環境においては、「東大卒」とかいう学歴はクソの役にも立ちません。今の私は「筋トレ好きのボート部OB」として生きていますが、それでも一ヶ月で8kgも体重が落ちてしまいました。そういう状況で仕事をしていると、「その一秒」を全く感覚できなくなるどころか、認知することも無くなります。とにかく仕事をしている時間でしかなく、何時間仕事をしたのかは最早何も覚えていません。思い出せなくなるのです。
それは何かが自分の中で終わって行く時間であり、速やかに忘れるべき一秒なのだと思います。少なくとも今の私にはそう見えます。

 

陽炎の庭を歩け
また自分の未来像とか将来像といったものが白紙に戻りました。「田舎の小さな会社でのんびりして低予算でも好きなことを創意工夫して生きてる技術者」みたいな理想像が半年ぐらい前には有ったような気がしますが、そんな思考停止し尽くした愚者の偶像崇拝は完全に消滅しました。
「その先に何が待っているのか分からない、未知で未踏の暗闇」を指して「陽炎」と呼んでいるのだ、ということにごく最近初めて気が付きました。また私は偶像崇拝を打ち砕かれ陽炎の庭に帰ってきてしまったわけで、気持ち的には本郷キャンパスで戦っていた時代にそのまま戻りました。

 

汎用思考の際を探る脳殻へ
日本はよく分からない所で、理系の私が文系の学問を独学しようとすると「耳学問の門外漢が文系学問を学部四年間学んだ大学生に敵うと思うてか」とか言われるし、文系諸君も文系諸君で理系の学問に手を出すことを必要以上に怖れていて、独学なんて思いの外だと言います。
…私は最近思うところあって経済学を勉強し始めました。「理系は一生好きなことしてりゃ薄給でも良いんだろ?ww社会の富は全部俺たち文系が稼いでるんだから、俺たち文系が持って行くのが当然だろ?wwお前ら理系は好きなことして薄給で死ねや!ww」というのが我が社の文系諸君の主張であるらしく、理系は死すべき家畜らしいので、それが本当に正しいのかどうか私自身の目で確かめようと思ったのです。
私はもう「理系」という肩書きに拘るのは止めようと思っています。理系でも文系でもなく、「汎用思考系」とでも言いましょうか、とにかくちゃんと自分の目で世界をちゃんと見つめられるようになりたいと、そう思ったのです。
一方で日本は専門特化主義の国なので、「深い専門知識を研ぎ澄まし、その中で生まれる緊張感と能力によって飯を食って行くのが正しい社会人の姿」みたいな話をよく聞きます。…「日本ではネクシャリストを目指せないのか?」が私の素朴な疑問点であり、それを自分の問題意識の一つとして持っていたら良いのかなと思いました。理系が専門の職人気質を尊び、専門バカ様専門神様と敬っている内に大半の富を文系が持っていき、東芝SHARPも崩壊してしまったわけです。本来は文系と理系を変に区別するのではなくそれぞれの能力を適切に評価した上で指揮を執れる「汎用思考を持てるリーダー」が立たねばならないと私は考えます。
東大を出て人生に困窮し始めたこのタイミングだからこそ、です。日本にはネクシャリストとして生きてゆく道がないのか、それを真剣に考えようと思うのです。

 

欲望と金と投資
私自身の悪い癖です。人生が困難で苦しい状況に至ると「苦しみを和らげるため、色んなことを忘れて思考停止する」というクソ展開が発生します。とりあえず絶望してみて、「全て私が悪いんだ」とか「もう人生は終わった」とか「何も産み出さず死ぬんだ」とか、とにかく絶望して何もかも忘れておけばそれで桶屋が儲かると思ってしまうのです。そんなんで忘れきって人生が終わって死ねるなら楽なもんですが、残念なことに私はまだ死を怖がらない程生きることを忘れきれない。…だから手始めに、「欲望」を再び手に取る事にしました。
一旦欲望を手に取っていない時間があると欲望を思い出すだけで割と苦労するもので、「私が欲しいものって何だっけ?」から始める必要がありました。小さい頃はトミカが欲しいプラレールが欲しい、ハムスターを飼いたい犬を飼いたい、ゲームが欲しいプレステが欲しい、と、それはそれは欲望の塊でしたが、ふと考えてみると最近は欲しいものも有りませんでした。
何でしょうかね。東京かどこか…少なくとも生活に困窮しない場所で、誰か大切な人と家庭を作って、子供たちに腹一杯飯を食わせ、頭がパンクするまで勉強させ、アホみたいな数の書籍とコンピューターに囲まれて暮らし、いつの日か耄碌しきった私の言う事は「親父の言う事は間違ってるよ!」と子供に論破されて、子供たちは私の屍を踏み越えてゆく…。そんなものが私の理想であり、ある種の「欲望のかたち」であるという事が何となく最近やっと分かってきました。私も古式ゆかしいオールドタイプの保守派なのですね。
さてそれじゃあそれを金額として査定しましょう。子供は三人として、奥さんは専業主婦としたら、一人大学まで出すのに5000万とか言われる時代ですから、子供たちの教育で150M、私の奥さんになるような人は幸せにしたいのでやはり30Mぐらいは掛かるでしょう。家賃も東京だと死ぬほど高いから80Mぐらいは見繕っておきましょうか。すると大体260M、二億六千万という途方もない金額が必要になります。…そりゃ結婚なんてできないし少子化も進行するわけだ。
とりあえず理系冷遇死すべき家畜待遇である我が社の薄給では人生を三回ぐらいやり直しても二億六千万には到達しませんから、投資でも何でも始めましょう。投資の元手資金として幾ら用立てられますか? …家畜が用意できる金なんてたかが知れています。1M。というわけで1Mを260M、260倍に化けさせるという途方もない狂気を実現できなければ、とりあえず私の欲望は形にならないという計算が成立します。
さて…どうしましょうか。現時点で既に極めて絶望的な状況ですが、打開策を一つ一つ丁寧に考えてゆく事が割と救いになっていて、それがここ最近私が発狂せずにいられる理由です。投資家として大成するための必須要素の一つに「ある種の欲望」というものがあるそうです。私の欲望が間違ったものでない事を祈りましょう。