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驟雨の標

困った人の長話(記述言語版)

思い語り: 明け方の虚無

思索録 生活録

ここ最近鬱病と思しき症状が著しく酷くなり、眠ろうとしても中途覚醒を起こして5時間以上眠れなくなっています。酷い時には3時間程度で目が覚めてしまう事もあり、気力減退も甚だしい状態にあります。

せっかく鬱で朝早くに目が覚めてしまったので、ストレス解消も兼ねて自分の頭の中に溜まっている黒くて汚いモノを文章の形で吐き出してみましょう。

 

 

 私には普通の人の感覚というものが全く理解できません。彼らは毎日規則正しく目覚め、規則正しく学校へ行き、規則正しく勉強して、規則正しく家に帰って、規則正しくお風呂に入って歯を磨いて、そして規則正しく眠ります。

私には彼らが何を考えているのかよく分からないのです。

 

小学校で親友だと思っていた人に真っ向から裏切られ顔面を蹴っ飛ばされた所から始まり、高校時代には自分と他者との違いに苦しみ続け、大学ではますますその傾向が強まりました。私は完全に周囲の人々から浮き上がってしまって、それ故に酷い攻撃を受けるのが常であるし、それ故に酷い疎外感を感じるのが常なのです。

普通でありたい。それが幼いころからの私の願望の一つでした。しかし年を重ねるにつれますます自分の異常性が明らかになって、最早普通の人間を目指す事は適わぬと思うようになりました。

  • 多くの人は「そんな事は考えぬ」と言う。しかし私は考える必要のない事まで考えてしまうし、それ故に発生している負荷は他人よりも重い。
  • 考えに考え抜いた上で行動すると、それは明らかに周囲から浮いた奇行となってしまう。それは他の人々が「考えぬ」と言う以上当然の事なのだが、毎日突き刺さるような奇異の目線を向けられる。

その意味で私にとって最良の時代は中学時代でした。後に東大に行く事になる某K氏、後に東工大に行く事になる某S氏、後に一橋大に行く事になる某U氏など天才奇才の類が山ほど存在していたのと、それ以外にも変人奇人の類が数えきれないほど多かったため、私のようなキチガイ野郎が一人いた所で誰も気にしなかったし、皆変に気を回す事なく私の事を承認してくれました。あの時代は本当に学校が楽しくて、毎日毎日変人奇人の天才奇才たちと下らない話を延々続けているだけで本当に楽しかった。要はあの時代は普通でない事が承認されていた時代だったのです。

高校に入って、そして大学に進んで、もうどうしようもないほどに私は憂鬱になりました。私のいた高校では「努力して当然」という雰囲気が非常に強くて、「好きな事をやりたいがために努力を放棄する奴は二流だ」という意識が前提条件となっていたのです。毎日毎日息苦しくて仕方が無くて、結局高校三年間でマトモに取り組んだのは部活と図書館の整備だけです。大学に入ったらもっと自由になるだろうと思っていましたが、それも間違いでした。私の思い描くような「好きだからやる」という事とはかけ離れて、「留年しないためにやる」「大卒の資格を取るためにやる」「良い就職を得るためにやる」という空気が満ちていて、ますます酷い息苦しさの中に放り込まれたのでした。

窒息死しそうになりながら毎日を過ごす中で、やはり次から次へと自分の異常性が明らかになっていきました。周囲の人々には「良い就職」やら「留年回避」やら目標があります。しかし私にはそういった目標の類はありません。私には大学から出た後のビジョンなんて無いのです。そもそも不確実性と複雑性の世界の中で、10年後や20年後に自分が何をしているかなんて予測するだけ無駄だとすら思います。しかし、そのように考える事自体が異常なのでしょう。私の考えている事と周囲の人々の考えている事は日に日に乖離してゆき、再び私は酷い疎外感の中に身を置くことになりました。

どんどん世界が傾いていきます。私は本質的に「幸福」という概念を理解していません。それ故に「良い就職」や「良い人生」という物に価値を見出せません。だって、そうでしょう? 例え大企業の高給取りになった所で、高い給料をもらう職業にはそれ相応の重労働と責任がついて回ります。プラマイゼロです。では逆に平穏で安閑たる人生を送った所で、最後には死ぬ間際になって「自分は何をして生きてきたのだろう?」と疑問を持つ事になります。これまたプラマイゼロです。では、皆の嘯く「幸福」とは一体どこに存在する概念なのか?

美味しいものを食べた所で直ぐにまた腹が減ってしまうし、お酒を飲んだところで直ぐに酔いが醒めてしまうし、楽しく友人とお喋りした所でやがて記憶の彼方に消え去ってしまう。衆目の大義名分である所の「幸福」なんてどこにも存在していないのではないか?

そう疑ってしまった所から明確に私の世界は歪み始めました。歪みに歪んでしまって、もう私には周囲の人達が何を目指して何のために努力しているのかが全く認識できなくなりました。私の目線から見ると、もはや虚無以外にそこには何も存在していないかのように見えます。そこに何かがあるのでしょうか? あったとしても、最早私の目は光を失ってしまって、何一つ見える物などないのです。だから、光の中を歩いている幸せで無自覚な人々が私に侮蔑の言葉を投げかける時、私は心の底から彼らの事を呪い、激しく嫉妬するのです。深い深い懼れと共に無限に広大な闇の中を歩く「疑う者」は、光の中を無邪気に歩く人々を静かに見つめています。

幸せに生きるための最初にして最大の資格は、

「幸せを疑わない事」なのです。

 

 

 

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そう、私はまだ、この言葉の意味を半分も理解していないのでしょう・・・。