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驟雨の標

困った人の長話(記述言語版)

院試よもやま話7. 院試は受けない方が良い

院試で得た物、失った物の話をしようと思います。

結論から言えば、現段階では得た物よりも失った物の方が格段に大きいです。

最初に院試の負の側面から書く事にしましょう。

 

7. 院試は受けない方が良い

研究室にひとたび配属されると、それまでの学生生活とは全く違う生活ベースへ飛び込んでゆく事になります。これまでは授業を受けて、その予習なり復習なりレポート提出なりで生活が進行していたかと思いますが、研究室に入ってからは研究が主体の生活になります。自分で計画を立て、毎日計画に沿って実験したり、実験結果を分析したりして、計画に変更の必要が生じればそれを修正しながら研究生活を進行していきます。

この変化は巨大です。

それまではただ授業を真面目に聞いて、与えられた知識を理解する事だけに時間を注いでいればよかったのです。しかし学部四年生からは全く話が変わって、学生の側から「知識を提案する」という作業が必須になります。自分で実験案を考えて、そこに必要な操作法や理論などの知識をかき集め、そして実験した結果を解析する事で教科書のどこにも書いてない新たな「知」を提案する事が主な学業のベースとなるのです。

ここでは勿論今まで授業で培ってきた知識は重要になりますが、それと同等かそれ以上に「実験に対する慣れ」が必要になります。ここでいう「慣れ」とは手を抜くという事ではなく、実験の背景・欲しいデータ・気を付けるべき操作・実験中の気にすべき変化などの要点を理解し、感覚的にそれを適用しながら実験を進行するという事です。

これは座学では身に付きません。

実際に自分の手で実験装置を組み立て、実験してみて、廃液の処理に注意しながら後片付けし、結果を分析してみる所までの一セットの作業を繰り返し繰り返し辛抱強く続ける事で初めて獲得できるセンスです。

 

これが最初から理解できてるならばそういう事もないのでしょうが、私は当初この変化に全くついて行けませんでした。どう実験装置を組み立てればいいのかも分からず、どう実験したらいいのかも分からず、どう後片付けすればいいのかも分からず、どう分析すればいいのかも分からなかった。全てが恐ろしいほどにチンプンカンプンで、これまで勉強してきた事が全く役に立たないような絶望感だけがありました。戸惑うばかりで何一つ研究を進行できない状態のままただ教授に叱責されたりする日々だけが続くばかりで、ひたすら走り回っては爆死するだけの日々が続きました。

その中で院試が始まりました。もう何もかもが火の車です。研究発表は爆死して怒られ、実験も中々進行しないというクソみたいな状況の中で、院試を受けずに推薦だけで大学院に登ってゆく人々は着々と実験を進行させ、経験を積んでいきます。私一人だけ研究者として成長する機会をまるっきり逃して、置いてけぼりにされるという状況がかなりの期間続きました。

その結果は惨憺たるものです。やっと最近になって私も実験の要点が少しずつ理解できてきました(遅すぎですね^ ^;;)が、明らかに周囲の人々よりも私の研究の方が進行が遅れています。私も学会発表が決まったりしてそれなりに研究を進行させているつもりなのですが、院試の期間で同輩諸氏に大きな差を付けられた事は最早否定できない真実です。従って今現在の私は、院試の期間で発生した大きな差を少しでも埋めるべく、ひたすらデータを出し続ける実験を悶々としながら続けています。(それでもまだ進行は遅いけど)

要は、院試を受ける事で一定のリスクが発生します。賢明な人々はそのリスクを最小化して取り組めるのでしょうが、全てに落ちたら路頭に迷うという院試のシステムにおいては皆一定の院試対策の時間を掛けねばならないし、するとやはり院試を受けずに大学院にそのまま上がれる人間の方が研究者としては圧倒的に有利です。

私は院試では勝利したけど、研究生活のスタートを切るという意味では爆死したに等しいのです。ベトナム戦争後のアメリカみたいですね。戦争に勝っても戦後の傷跡は大きいのです。

 

全員が院試を受けなければならないというシステムならば仕方がありません。しかし、世の中には院試を受けずにそのまま大学院へ上がれるという楽ちんなシステムの大学も存在しています。

何の分野でもいいからとにかく研究者として活躍したいと思うのならば、はっきり言って院試なんか受けずに大学院にそのまま進んで、研究に徹底的に打ち込む方が何倍も正しいと思います。私はそれとは違って、自分の夢をかなえるために選ぶべき研究室が自分の大学に無かったから大学院で外に出るという選択肢を取りました。しかしこの選択が正しかったのかどうかはまだ現段階では何とも分かりません。

 

あまりこういう事を言いたくないのですけれど、要は単純明快な話になります。

夢を追うために必要な事ならばリスクを取ってでも外の大学院に進むべきだが、夢とか別にどうでも良くて学歴ロンダしたいだけとかなら絶対にやめた方が良い。

院試は負担の大きい事です。もし全てに落ちたりしたら、その場合に人生に及ぼす影響は甚大です。自分の大学の大学院ならば、もしかしたら推薦だけでそのまま上に行ける制度があるかもしれないし、もし試験を受けるとしても自分の大学の学部生はある程度取ってくれるものです。

リスクと自分の夢を秤にかけて、外の大学院を目指すに足るだけの意味があるならば勇んで院試に挑戦しましょう。それだけの意味が無いのならば、自分の大学からそのまま大学院に上がって、選ぶべき道を探しましょう。

 

その意味で要は院試とはリスク管理を学ぶ場なのかもしれません。自分の技量、自分の実力、残り時間、院試勉強での負担、それら諸々の要素を全て考慮して、その上で受ける大学院、受ける専攻を選択する。そうして自分の将来を仔細に検討しながら院試を受ける事は、確かに良い経験にはなります。

私も東大大学院なんてまたアホみたいに高い所を狙ってしまいましたが、それは東大大学院の研究環境が最高で目指すべき研究室があったからだけではなく、院試の過去問を数点見比べた結果として一番受けやすいであろうと判断したのも大いにあります。東大大学院を受けようと選択した後も「どの専攻を受けようか?」とかなり悩みました。最初見ていた専攻には面白そうな研究室が色々あったのですが、授業カリキュラムが私の考えていた物とは全然違う事、研究手法が理論計算主体で実験を異様に軽視している事、院試の科目に物理学と数学が入ってくる事などから、途中であきらめて大学院探しをゼロからやり直しました。幸いにも同じ東大の中に、より面白そうな研究室が揃っていて試験科目に私の大好きな生命科学が入っている所を見つけて、それを受験すると決めました。

何だかんだでリスクを考えると、まっすぐ突っ走っているだけでは立ち行かなくなります。自分の能力にも限界はあるし、残り時間が限られてくるとできる事も少なくなってきます。そしたら多種多様な進路を検討した上で最適なモノを選択する努力が必要になります。ただ全力で勉強しているだけでは道を誤る事もあるのです。

そういった諸々の検討を仔細に進める必要があるという意味でも、やはり院試はその覚悟が無いならば極力避けるべきです。院試は「受ける事で何か重要な真理を発見できる試練」とかそういう類のモノではないと思います。

受けなくても良い道があるなら受けない方が良い。

私の立場からはそう進言します。