驟雨の標

困った人の長話(記述言語版)

院試よもやま話1. その動機は他ならぬ「人」

私は現在在学している東京理科大学から外部の大学院への進学を決め、先日東京大学大学院の某専攻から合格通知を頂きました。

大学院入試を受験する中で考えた事、得た物と失った物などをシリーズ化して書いていこうと思います。

 

 1. その動機は他ならぬ「人」

一浪して理科大に入るという結果に終わった大学受験でそもそも学歴コンプレックスが無かったかといえば正直そんなことは無く、学歴に対してのコンプレックスのようなものはありました。しかしそれよりも、大学生活を進行していく中でもっと重大な動機が浮き彫りになってきました。それは「人」です。

理科大という所は奇妙な所で、私立理系としては大分整った大学の設備面とは裏腹に、それを使いこなせないどころか敢えて逆行してローテクに戻ろうとする人々が一定の割合で存在します。それは学生がそうである他に、教授陣でも敢えて古臭い形式でレポートを提出させたりする先生が一定数います。それ自体はレポートのコピペを防ぐなどの意味があるのでまあ仕方が無いのでしょう。しかし私が著しい違和感を覚えたのは、その現状に対して少しでも利便性向上の策を打とうとしない学生と、それで完全に問題ないと思い込んでいる教授陣です。

やはりどうにも「人」が好きませんでした。例えば手書きレポートが課題として出された場合、それに対する書き方のコツ、先輩の書いたレポート、参考にすべき文献の情報など、共有する事でより効率よく勉強を進行できる情報は山ほどあります。私は当時流行りだったクラウドサービス(MicrosoftのOnedrive)でそういった情報を手広く共有し情報交換できるインフラを試しに作ってみましたが、一年以上経過しても未だに「使い方が分からなくて面倒くさい」という声が出続ける事に酷い徒労感を覚えています。Onedriveなんてあの四角いアイコンをD&Dすればなんでもできるのに、それすら難しいというのは一体どういう事なのか未だに良く分かりません。

そもそも周囲の人々はスマホにのみ依存していて、一度は授業中に同輩から「君まだパソコンなんて使ってんの?パソコンって変なデカい箱でしょ?スマホで手元で何でもできる時代なのに、パソコンなんか使ってバカじゃないの?(笑)」と罵倒された事すらあります。このあたりから猛烈に徒労感が増してきて、「自分はこんな集団の中にいても良いんだろうか?」と自問自答するようになりました。

 

元々は理科大に骨を埋めるつもりで、丁度自分の志望にある程度適った素敵な研究室もありました。しかし時が経つにつれて次々露呈する恐ろしいほどの認識の齟齬に次第に耐えられなくなっていきました。

私は理系でありながら文学や小説が好きで、例えば太宰治の「富嶽百景」なんかは未だに素敵な作品だと思っています。そんなお堅い話をしなくとも、ライトノベルや漫画の類まで含めて何でも濫読します。音楽も好きで、プロコフィエフカプースチンを聞くかと思えばショパン夜想曲を聞きながら勉強したり、そんなお堅いものではなくVOCALOIDやロックミュージックも普通に聞きます。アニメも見ます。ゲームもします。たまにマリンスポーツに興じたりもします。きっと何かの話題で話が通じる相手がいるに違いない、と思っていました。

でも、現実には全く話が通じる相手はいませんでした。皆口を開けばバイトの話か試験の過去問の話で持ち切りであり、恐ろしいほど勉強熱心な人達なのでした。では今勉強している専門分野がどういう工学的応用性を持っているのか、という話をしたら返事が来るのかと言うと、そういう話も少数の例外的な人々を除いて殆どありませんでした。政治やらの話を振っても「シリアってどこ?」からスタートするレベルで、何を話しているのか甚だ分からない状況のまま終わりました。

要は「私はコミュ障から脱却できなかった」のです。私の視界に映っているものと、周囲の人々の視界に映っている物は明らかに違っていました。私は割の良いバイトにはさほど興味が無かったし、過去問は傾向を把握する程度でしかないと思っていましたが、彼らにとってはそれが命の次に大切なものであるかのようでした。

明らかに認識している物が違う。違和感がもう全く抑えられなくなって、自問自答は次の段階へ移り、「私は大学院入試を乗り越えられるか?」となりました。これが大学三年生の始まりごろ私が考えていた事です。最早「外に出たい」という感覚は全く抑えられるものではなく、後は試験勉強でどこまで自分が本気を出せるかだけが心配事でした。

 

丁度研究室を色々と見学させていただく機会があり、目指していた研究室の雰囲気が当初イメージしていたものとは大きくかけ離れたものである事、尊敬していた先生の性格が自分と全く合いそうにない事などの事実を確認し、最早それ以外に道は無いと確信して外部の大学院入試を受ける事にしました。

複数の大学の研究室をホームページで確認し、その中で気になった物には見学を申込み、そして最終的に東京大学大学院に決めました。本郷キャンパスに初めて足を踏み入れた時のあの何とも言えない高揚感(ちょうど五月祭の時期でした)は忘れられません。ここで私は次の戦いに身を投じるんだ、そう確信した瞬間でした。